書評

タトゥー・セラピー

タトゥー・セラピー

我が家はタトゥー禁止です。(あとは鼻ピアスと舌ピアス)なぜなら、消せないから。消すのも肌を痛めるし、彫るよりも大変。(イメージです)ファッションの一部で入れて、それが一生、おじいちゃん、おばあちゃんになってもファッションとして持続出来る気がしないのです。でも、闇雲に反対と言っても説得力はない。ダメと言えるほど知識がないまま、イメージで反対しているだけ。タトゥーとはどんなものなのか、どういう心境で人はタトゥーを彫りたくなるのか?

タトゥー・セラピー/ウダPAOマサアキ

  • 出版社 : 東京キララ社 
  • 発売日 : 2009/12/1


刺青は愛情表現。世間一般では認められない曲がったやり方かもしれないけど、あえて自分の身体に彫り込むことで納得する。どの刺青に対する思いも、すべてがピュア。

恋愛にまつわる刺青は自虐に近い愛情表現。あとを省みない。終わる可能性があるからこそ、消えない刺青を彫りたくなる。
背中に刺青を彫るということは、その理由への覚悟の現れではないだろうか。背中というのはメインになるスペース。覚悟の現れが大きさの現れ、範囲の現れではないか。だが酷なもので、背中一面に彫っても、自分の目で背中を見ることが出来ない。
刺青を見て、これがあるから現在があるというのがある。そして反面、刺青を入れたことで安心しきって甘えるやつもいる。見えないものを目に見える形で身体に彫るのは良いが、見ようとしないで彫るということではないのではなない。
何となく彫るものではない。入れる人間の気持ちも大切。お互いに合わないまま何となく入れた刺青は、脇役の刺青が主役にのし上がろうとする。そして、実在する人間という本来主役だったはずのものが脇役になっていく。

刺青を彫っている人は、苦労を買っていると思う。馬鹿みたいに。
刺青を彫っていないことが正しいというか、普通とされる一般社会の中で、刺青を入れて、普通、もしくは普通以上を目指して生きていくというのはすごいこと。あえて世の中的な”負”というものを背負いながら生きていくわけで、それはタフだ。それがいいとか悪いということではない。ただ、負と言われるものを負ではなく、マイナスと言われるものをプラスに持っていってそこに立っているというのは、すごいこと。

刺青人生を描いた刺青道の本を読んでみて、
それぞれの人生の中で刺青を彫るという”痛み”が必要な何かがあったという背景は人それぞれ。筆者言うように、まだまだ日本では刺青に対するイメージは”負”が多い中、あえて入れる。それは苦労を背負って生きていく覚悟の現れでもあるのだろうということは十分に理解できました。
すでに入れた人、これから入れる人に対して賛成も反対もなく、「個々人ご自由に」という気持ちです。
でもやっぱり私は反対です。家族が刺青を望んだら、彫る以外の気持ちの落としどころを見つける方法を探したいです。